そして乾隆帝

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今回は清の絶頂期を築いた三皇帝の三番目、乾隆帝ついてご紹介します。

康熙帝雍正帝と続き有能な皇帝が即位したため、清は大国となりました。

乾隆帝はどんな人物だったのか。何をしたのか

見ていきましょう。

  • 乾隆帝とは
  • 何をした?
  • エピソード
  • 晩年

乾隆帝は清の6代目の皇帝であり1735年から1796年まで即位しました。(正式には1795年に退位し、嘉慶帝に譲位)

小さい頃はなかなかのイケメンだったそう。

書道や詩といった文化も愛しており、乾隆帝は 4万首以上の詩 を詠んだと言われています。

しかし…実は そこまで才能がなかった らしく、宮廷の学者たちは「うーん…これは…」と微妙な反応をしていたとか。

それでも乾隆帝は「私の詩は最高だ!」と信じていて、臣下たちに自作の詩を強制的に暗記させた という話も。

またある日、ある官僚が皇帝に提出した報告書の字が めちゃくちゃ汚かった ことにぶち切れ。

乾隆帝は「こんな字を皇帝に見せるとは何事か!」と、その官僚に 書道の特訓を命じました

その結果、官僚は毎日朝から晩まで字を書かされ、最終的に書道の達人になった とか。

そんな乾隆帝が治めた清は「盛世滋生人丁(人口増加による繁栄)」と称されるほど人口が増えた時代。

清は栄えており、1793年イギリスの使節団(マカートニー使節団)が清朝と貿易交渉をしようとやってきたときも

イギリス側は「最新の技術と製品を持ってきたので、ぜひ清と貿易をしたい」と提案しましたが…

乾隆帝の答えは 「不要!」

しかも、使節団に送った書状には「大清帝国はすべてを持っており、お前たちの品物は必要ない」
とバッサリ!

このとき皇帝との面会のためにマカートニーらに三回土下座して、そのたびに三回ずつ額を床に着ける

「三跪九叩頭」を要請。マカートニーはキレていたそう。

しかしながら乾隆帝の死後、清は衰退していくことに、、、

乾隆帝はよく外征を行い、10回も戦争を行ったとされています。

代表的なものは康熙帝の時代に攻め落とすことが出来なかったジュンガルと回部を滅ぼし、

東トルキスタン一帯を新疆と名付け支配下に置き、中国史上最大の領土を確立。

このとき戦った回部に香妃という王妃がおり、当時の乾隆帝は一目ぼれ。めちゃめちゃ可愛かったらしく、

求愛しましたが香妃は乾隆帝を「かたき」として断りました。しかしここでめげない乾隆帝。

彼女のためにイエズス会宣教師イタリア出身のカスティリオーネに命じて

北京郊外にバロック式の大きな宮殿である円明園を建設。

少し彼女の心を開くことが出来たそうです。

文化面では四庫全書の編纂を命じ、中国史上最大の百科全書のようなものを作りました。

この書名の「四庫」とは、中国の古典を4つのジャンルに分類したことを意味しており、具体的に

経部(けいぶ) → 儒教の経典や注釈書(例:「論語」「孟子」など)
史部(しぶ) → 歴史書や地理書(例:「史記」「漢書」など)
子部(しぶ) → 哲学・文学・医学・占いなどの雑書(例:「荘子」「孫子兵法」など)
集部(しゅうぶ) → 詩や散文などの文学作品(例:「杜甫の詩集」など)

となっています。全巻で8万巻あるとされており、7セットも作らせました。

普通の図書館には入りきらず、紫禁城や円明園などに1セットずつ置いたそう。

そんな乾隆帝のエピソードをいくつかご紹介。

乾隆帝は子どもたちをとても大切にしたことで知られており、特に 第5皇子(後の嘉慶帝) には甘かったとか。

ある日、皇子が宮殿の中で遊んでいる時に、大事な書類を落書きしてしまいました。

普通なら大問題ですが、乾隆帝は「これは我が子の才能の証だ!」と大喜びし、落書きを額縁に入れて飾った とか。ちょっと親ばかですね。

 また乾隆帝は正月になると、臣下たちに「お年玉」(紅包・ホンバオ)を配っていました。

ある年、「皇帝のお年玉はどんなものだろう?」とワクワクしていた臣下たちが、紅包を開けると…

「金銀財宝がギッシリ詰まっていた!」

なんと、一部の臣下には金の延べ棒翡翠が入っていたという話があります!流石皇帝!

 乾隆帝はちょっとグルメだったらしくラーメン(麺料理)が大好きだったことで知られています。

特にお気に入りだったのは「打滷麺(ダールーメン)」というあんかけ麺の一種。

ある日、江南地方を視察中に地元の麺屋に立ち寄り、庶民のふりをして注文。

店主が出したラーメンを食べた瞬間、「これは天下一品だ!」 と大絶賛

その後、宮廷にもどって宮廷料理人に「このラーメンを再現しろ!」と命じました。

しかし宮廷料理人が作ったラーメンは、高級食材ばかり使って別物になってしまった!

乾隆帝は「違う!庶民の素朴な味が大事なんだ!」と叱ったとか。

またお茶が大好きだったそうで、特にプーアル茶(普洱茶)を「茶の中の皇帝!」と大絶賛していたとか。

乾隆帝は中国史上最大領土を築いたり、四庫全書の編纂を命じたりと多くのことを成し遂げましたが、

晩年はちょっとお金を使いすぎたそうです。

円明園やお年玉、宮殿を立てたりとお金遣いが荒かったらしく、加えて

当時最も権力を握った官僚 和珅(かしん) は、乾隆帝のお気に入りの側近でありましたが

和珅は悪名高い「中国史上最大の汚職官僚」と言われるほどの蓄財ぶりで、

彼の個人資産は 清朝の国家予算の15年分 にも相当したとか!(めちゃくちゃやん)

乾隆帝は和珅の悪事を知っていながら放置。

でも、乾隆帝が亡くなると、新皇帝・嘉慶帝は 即座に和珅を処刑 しました。

そのため、後世の人々は「和珅は乾隆帝の生きた銀行だった」と冗談を言うことも。

気付いたら清の財政は厳しくなっちゃっており、重税を課すことに、、、、

加えて国内は人口は増え、土地がなくなり、貧困化していく農民たち。

この結果1796年には白蓮教徒の乱が起こり、清は衰退の道を歩むことに、、、

人間、去り際が大事なのかも知れません。

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