続きましての雍正帝

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清の名君である康熙帝をご紹介しましたが、

今回は彼の後を継いだ雍正帝について書いていきたいと思います。

雍正帝も清の絶頂期を築き上げて、名君と呼ばれております。

康熙帝の第四子として生まれ、1722年から1735年にかけて

皇帝として君臨した彼にどんなエピソードがあるのか見ていきましょう。

  • 雍正帝とは
  • 政治的に何をした
  • エピソード

雍正帝とは

彼は康熙帝の後に即位し、第五代目の皇帝となりました。

性格は超真面目であり、夜明けから深夜まで仕事をし、

1日に数百通もの奏摺(役人からの報告書)に目を通したそう。また、

休むことを嫌い、「皇帝は国の父であり、国民のために働き続けるべきだ!」という考えを持っており

家臣に対しても「俺がこんなに働いているのに、お前たちはサボるのか?」とプレッシャーをかけまくっていたそうな。

手紙などを書くときは裏紙を使い食事ではお湯漬けを好むような質素でもあった皇帝だそう。

先代の康熙帝は清朝随一の名君として知られていたため、

雍正帝は「父の威光を超えなければならない」というプレッシャーを感じていたとか。

そのプレッシャーもあってか、しばしば強引な部分もあり、

言論統制である文字の獄や裏切った官僚や仲間は速攻で処罰したり、

雍正帝が皇帝に即位できたのは、康熙帝の遺言を改竄したからだという噂もあったそうで

冷酷な皇帝としての一面もあったそう。

しかし雍正帝のもとでは有能な者は身分関係なく出世できたり、

使えると判断したらすぐに登用したそうで、

たとえば、彼の腹心の張廷玉(ちょうていぎょく)という官僚は、

たった数年で最高位の宰相クラスにまで昇進しました。

まさに「皇帝の気分次第で人生が変わる」時代だったのです。

政治的に何をしたのか

政治に関してまず行ったことは軍機処の設置です。

雍正帝は効率的でスピーディーな政務運営を目指し、軍機処を設立しました。

それまでの清朝の官僚制度では、内閣(明朝の制度を引き継いだもの)が行政を担当していましたが、

内閣は官僚の数が多く、意思決定に時間がかかるのが問題でした。

そこで雍正帝は、少人数の信頼できる側近を集めて、迅速に意思決定を行うための軍機処を作りました。

役割としては軍事指揮の補佐政策の立案と決定極秘情報の管理

皇帝の親政の強化などが挙げられ、選ばれた人物たちはエリートであり、

のちの乾隆帝の時代では実質的な最高行政機関として機能しました。

領土の拡張も行い、将軍に命じてチベットの北東部に遠征を行わせ

地域を青海と名付けて藩部にしたりもしました。

また康熙帝はロシアとネルチンスク条約を結びましたが、

新たにロシアとの間に国境問題や交易問題が出てきたため、それを解決するために

キャフタ条約1727年に結びました。

エピソード

そんな雍正帝のエピソードをいくつご紹介。

 雍正帝は官僚の汚職を取り締まるため、なんと匿名で「投書箱(木箱)」を全国に設置しました!

人民が役人の不正を密告できる仕組みを作ったのですが…

ある時、自分自身(雍正帝)に対する悪口がたくさん投書されてしまったという話があります。

「皇帝が独裁すぎる!」とか「政治が厳しすぎる!」という不満が寄せられ、それを読んだ雍正帝は苦笑しつつも、一部の意見を参考にしたと言われています。

 また雍正帝は「奏摺(そうさつ)制度」を導入し、地方の官僚が直接皇帝に報告を送れるようにしました。

しかし、ある時、役人たちがあまりにもおかしな内容の報告を送ってくることに業を煮やし、

雍正帝自ら「赤ペン先生」ばりに手書きでツッコミを入れて返信したとか。

例えば、ある役人が「私はとても誠実な人間です!」とアピールしたところ、

雍正帝は手書きで「お前がそう言うなら、たぶん嘘だな」と冷たく書き込んで送り返したそうで。

こうした辛辣なツッコミ入りの書簡が今でも残っており、歴史研究者の間では「雍正帝のリアクションが面白すぎる」と話題になることも。

 そんな雍正帝は厳格な皇帝で、反抗する者には容赦しませんでした。

その中でも有名なのが「立って寝る監禁刑(站籠、たんろう)」という奇妙な罰です。

これは、囚人を人間サイズの鉄の檻に閉じ込めて、座ることも寝ることもできないようにするというもの。

囚人は疲れても座れず、食事も檻の隙間から渡されるだけ。これが続くと体力がどんどん消耗してしまいます。

雍正帝はこれを主に反乱分子や裏切った官僚に対して使用したと言われています。

雍正帝は文字の獄(もじのごく)と呼ばれる思想弾圧を行ったことで知られています。

皇帝を批判するような本はすぐに発禁処分にされましたが、実は雍正帝はその「禁書」をこっそり読んでいたという話があります。

当の本人は「敵が何を考えているか知るためには、彼らの本を読むのが一番だ!」

「自分を批判する本がどんな内容か、直接確認しなければならない!」などと考えていたそうで

臣下に「これは焚書(焼却処分)だ!」と命じながら実は密かに自分の書庫に保管していたそうです。

まとめ

雍正帝は自分にも他人にも厳しい人物のようですね。

しかしながらいくつかのエピソードのようにチャーミングな部分もあります。

皇帝といえども人間らしいところも見れてキュンです。

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