こんにちは。こんばんは。今回はオスマン帝国の最盛期を築いた王
スレイマン1世についてご紹介したいと思います。
オスマン帝国の領土を広げ、文化的にも大きく貢献した皇帝はどんな人物だったのか。
何をしたのか。どんな人物だったのか。語られているエピソードとともに見ていきましょう。
- スレイマン1世とは
- 何をしたのか。
- プレヴェザの海戦
- どんな人物だったのか。
スレイマン1世とは

スレイマン1世はオスマン帝国の第10代のスルタンであり、セリム1世の後を継いでスルタンとなりました。(在位:1520年〜1566年)
「壮麗者(スレイマン・マグニフィセント)」や「立法者(カーヌーニー)」と呼ばれるほど偉大な功績を残しており、
戦が強く、真面目なスルタンであったとされています。
自身も「ムフッビ(Muhibbi, 愛する者)」というペンネームで数多くの詩を残し、文化的なことも好み、
無知であることを嫌い、戦場でも本を読んでいたそうです。
イスラム教の保護者としても活躍し、聖地であるメッカ、メディナ、エルサレムを守護する立場を強化し、カリフの権威を確立しました。
何をしたのか。

スレイマン1世は生涯で13回遠征したと言われています。主な戦を見ていきましょう。
1521年にハンガリーの首都ベオグラードを征服。バルカン半島を支配下に置いたのち、
1526年、モハーチの戦いでハンガリー王国を破り、ハプスブルク家との抗争を激化させました。
当時のハプスブルク家はブルボン家であるフランスとも対峙していたため、
敵の敵は味方ということで、フランスとは同盟関係にありました。
そして有名なのが、 ウィーン包囲です。1529年と1532年にハプスブルク帝国の首都ウィーンを包囲し
ウィーンを崩壊寸前まで追い込みました。ハンガリーを滅ぼしたオスマン帝国に対して、
神聖ローマ皇帝カール5世の弟であるフェルディナンド1世はハンガリーの王位を主張。
それを黙らすためにウィーンに侵攻しました。この出来事はキリスト教世界であるヨーロッパを震え上がらせました。
しかしながらこの遠征は時間が経つにつれて、天候が悪化。
冷たい雨と泥沼状態でオスマン軍の補給路が崩壊したことにより、オスマン軍は撤退。
スレイマン1世は帰還途中、彼は部下たちに「次はもっと温かい時期に来よう」と冗談を飛ばしたとか
そして追い払ったウィーンの人々はオーストリアのパン職人たちが「三日月」を模したパンを焼き、オスマン軍の敗北を祝ったそうです。
これがクロワッサンのもとになったとか。なってないとか。
ウィーン包囲は失敗しましたが、スレイマン1世の権威は落ちることなく、
1534年、サファヴィー朝ペルシャとの戦いでバグダードを占領し、メソポタミアを支配。
さらに北アフリカのチュニジア、アルジェリアもオスマン帝国の保護下に置き、
北アフリカと中東を手にしました。戦争強いな。
プレヴェザの海戦

スレイマン1世はイスラム教の保護者としてキリスト教世界の人々と対立していましたが、
そんな中で大きな海戦が行われました。1538年のプレヴェザの海戦です。
この戦いは地中海の覇権獲得を目指すオスマン帝国とそれを防ぐためにキリスト教の国
スペイン・ヴェネツィア・ローマ教皇が連合艦隊を作り、オスマン帝国に挑みました。
オスマン帝国はハイレッディン・バルバロッサが艦隊を指揮し、この人物は
伝説の海賊から昇進したオスマン帝国最強の提督であり、聞いた人も多いのではないでしょうか。
バルバロッサは機動力の高いガレー船を巧みに使い、敵が大砲の射程に入る前に近距離戦に持ち込むことで、敵艦の大砲を無力化しました。
この戦いでオスマン帝国はイオニア海、エーゲ海、北アフリカの沿岸はを獲得し、
オスマン帝国の影響下に置かれ、地中海の覇権を確立しました。
どんな人物だったのか。

そんなスレイマン1世はどんな人物だったのか。いくつかエピソードを紹介したいと思います。
スレイマン1世は、ウクライナ出身の奴隷女性ロクセラーナ(ヒュッレム・スルタン)に夢中になりました。
通常、オスマン帝国のスルタンは奴隷の妃との間に子どもが生まれたら、その妃は宮廷を去るのが慣例でした
しかし、スレイマンはヒュッレムを宮廷に留め、彼女を正式に妻として迎えました。
ある話によると、ロクセラーナは妃になるために、自分の顔に自ら傷をつけ、そのことを
「あなたの妻にやられたわ!」とスレイマン1世に訴えて、それを聞いたスレイマン1世は、
自分の本来の妻と息子を追放したとか。
これには宮廷内で大きな波紋が広がり、「皇帝が奴隷と結婚するとは何事だ!」と驚かれました。
さらに、ヒュッレムはスレイマンの正室となった後も、政治に大きな影響を与え、
スルタンの耳元で絶大な権力を握ったのです。
また、スレイマン1世は大の猫好きでもありました。
ある時、スレイマンは「猫の自由はスルタンの自由に匹敵する」と言って、猫たちに宮廷内を自由に歩かせていたとか。
宮殿にはスルタンお気に入りの猫が何匹も飼われており、特に黒い毛並みの猫を「幸運の象徴」として大切にしていました。
宮廷の公式記録によると、猫の世話係(キェディ・アーガ)まで雇われていたそうです。
今もトルコに猫が多いにはこのためかもしれませんね。
スレイマン1世は料理にもこだわりがありましたが、特にスープの温度にはうるさかったことで有名です。
ある日、スレイマンは新しく雇われた料理人に「熱すぎず、冷たすぎず、完璧なスープを作れ」と命じました。
料理人は最高のスープを作り、スルタンに差し出しましたが、
スレイマンはスプーンで一口すすっただけで、「このスープは私の心ほど熱くない!」と言ったそうです。
スレイマン1世は熱男ですね。
まとめ
スレイマン1世はイスラム教の人々にとっては名君ですね。
キリスト教の人々にとっては嫌な人だったでしょう。
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