男前でいいやつ 寛大な王サラディン

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こんにちは。今回は世界史において12世紀のイスラム世界で活躍した

寛大で知られるサラーフ=アッディーン通称サラディンについてご紹介したいと思います。

サラディンは性格がいいうえに男前でもあったそうです。

そんなサラディンについて詳しく見ていきましょう!!

サラディンについてはいい話しか調べても出てこなかったので面白いエピソードはあんまりないです

  • サラディンとは
  • 何をしたの?
  • 第三回十字軍
  • エピソード

サラディンとは

サラディンは先ほども述べたように、12世紀のイスラム世界で活躍し、

本名はサラーフ=アッディーン。当時エジプトにはファーティマ朝があり、

そこで若い時は武将として活躍していました。同じくファーティマ朝に仕えており、

世話になっていたおじの死の後、宰相となった彼はアイユーブ朝を興します。

細身の体をしておりましたが戦略家であり、頭が切れ、敬虔なスンナ派のイスラム教徒でした。

弟やシーア派の反乱を受けながらも、それを倒し、彼らを許して寛大な統治を行い、

1193年、サラーフ・アッディーンは病によりダマスカスで死去するまで生きました。

偉大な人物でしたが結構泣き虫だったという話も残されています。

何をしたの?

サラディンがしたことは1169年にアイユーブ朝を興したこと以外に、キリスト教徒からのイェルサレムの奪還、

第三回十字軍の撃退学校や教会の建設などが挙げられます。

第三回十字軍については次の章で詳しく見ていきます。

イェルサレムの奪還については当時、十字軍においてヨーロッパのキリスト教徒たちにイェルサレムは占領されていました。

イェルサレムはイスラム教徒たちにとっても聖地でしたが、多くのイスラム教徒たちが殺されていました。

そこで1187年イェルサレムを攻撃し、最終的に奪還に成功します。

奪還後多くのキリスト教徒が捕虜になりましたが、彼らを殺すことをサラディンは禁じ、

一人あたりの身代金を払えば自由に退去することを許可したり、

身代金を払えない貧しい人々には、慈善で釈放を許し、女性や子供、老人には特別な配慮をしました。

またサラディンはカイロをアイユーブ朝の首都にするとともに、多くの学校を建てて

文化の保護や、成長を支えました。

第三回十字軍

サラディンがイェルサレム奪還したニュースを受けて、キリスト教の指導者たちは驚愕。

一説には当時のローマ教皇ウルバヌス3世はショックで急死したという話も。

後を継いだグレゴリウス8世は十字軍の再結成を要請。ヨーロッパ各地から人が集まりました。

主な人物としてはイングランド王で獅子王と呼ばれた勇猛果敢なリチャード1世。

フランス王でオーギュストの名がついているフィリップ2世。

神聖ローマ皇帝でありバルバロッサの名を持つフリードリヒ1世などが中心人物となりました。

まあ結局そうそうたるメンツですが、フリードリヒ1世は途中で事故死、フィリップ2世は

イングランド王リチャード1世と不仲なため途中で帰国。

結果リチャード1世が最後まで戦う人物となります。

十字軍はまず、サラーフ・アッディーンの拠点であるアッコン(アッカ)を包囲します。

それに対してサラーフ・アッディーンも援軍を送り、2年以上にわたる激しい攻防戦となりました。

1191年、リチャード1世とフィリップ2世の連携でアッコン陥落。後フィリップ帰国。

その後1192年、対するサラディンは十字軍の拠点ヤッファ(現在のテルアビブ付近)を攻撃。

リチャード1世は急行し、海岸で激戦が繰り広げられました。

リチャード1世は見事な指揮で防衛に成功し、ヤッファを保持。

サラディンは再び撤退を余儀なくされましたが、お互いに軍は疲弊。

そのため和平交渉が進められ、ヤッファ条約で和平が成立します。

内容はエルサレムはイスラム教徒の支配下に留めるキリスト教徒の巡礼者はエルサレム巡礼を許可

ヤッファは十字軍の拠点として保持される。というものでした。

これによりイスラム教徒、キリスト教徒ともに聖地への巡礼が可能となったのです。

エピソード

十字軍との戦いにおいてリチャード1世とやりあったサラディンですが、

最後には互いに認め合っていたそうです。いくつかエピソードを紹介。

戦いの最中、リチャード1世は酷暑の中で熱中症に苦しんでいた

サラーフ・アッディーンは敵将であるにもかかわらず、氷と果物彼に送って体を冷やすよう配慮した。

リチャード1世はこの思いやりに感謝し、サラーフ・アッディーンに感服したと言われています。

またある日、リチャード1世はサラーフ・アッディーンから贈られた飲み物を見て、冗談交じりに言った。

もし毒が入っていないなら、まず自分で飲んでみるがいい!

サラーフ・アッディーンは微笑んで一口飲み「毒など入れる必要がない、私は剣だけで十分だ」と答えた。

自ら飲んでみせたことでリチャードの信頼を得たサラディン。

この余裕ある対応が、交渉をスムーズに進めたとも言われています。

交渉中にリチャード1世はサラーフ・アッディーンに対し、

私の妹ジョアン王妃と結婚してはどうだ?」と大胆な提案をしたこともありました。

これは和平の象徴としての婚姻を意味していましたが

サラディンは笑って「リチャード王よ、私はすでに結婚しているのだ」と返答したそうです。

勢いで貰わないサラディン。冷静ですね。僕なら貰います。

最終的にリチャード1世は「サラディンこそ最も偉大なイスラムの指導者だ」

とも言ったそうです。

生涯サラディンは贅沢を避け、質素な生活を貫き、自分の収入は主に貧者への施しや孤児救済に使い、

彼が亡くなった時、彼の遺産は1ディナールといくつかの銀貨のみだったとされています。

まとめ

こんな性格がいいエピソードしか残っていないサラディンはとても良い人だったのでしょう。

見習いたいものです。

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