こんにちは。今回は清の名君として知られる康熙帝についてお話ししたいと思います!
わずか7歳で即位し、69歳で死ぬまで皇帝としてい続け、清を中国史の中で屈指の
大国の一つに育て上げた人物はどんな人だったのか。何をしたのか。
見ていきたいと思います。
- 康熙帝とは
- 何をしたのか(政治)
- 何をしたのか(文化)
- 面白いエピソード
康熙帝とは
康熙帝(こうきてい、Kangxi Emperor, 1654年~1722年)は、中国・清朝の第4代皇帝(在位:1661年~1722年)です。
清朝の最盛期を築いた名君の一人とされています。
彼はとても勉強熱心であり、中国古典を読み漁り、学者やイエズス会の宣教師ともよく議論していたとか。
頭が良いためその聡明さに当時の人たちは驚き、宣教師と問題を出し合ったとき、
宣教師たちの問題を康熙帝は簡単に解き、逆に康熙帝が問題を出したとき、誰もすぐに答えれなかったり、
科挙の試験での模範解答も完璧だったとされ、その結果皇帝自身がカンニングを疑われたこともあるそう。
熊や虎を何匹も倒した。狩りが得意だった。馬術が優れていた等々のエピソードもあり、
まさに文武両道の皇帝だったとか。そんな彼は大きな功績を残しました。
何をしたのか(政治)

7歳で即位し、14歳で親政を行い始めた康熙帝ですが、19歳の時に早速反乱がおきます。
当時中国では藩と呼ばれる王国みたいなものがあり、自治権をも持っていました。
康熙帝はそれを疎ましく思い潰すことを決心しますが、それを聞いた藩の王たちは清朝に反発。
雲南の藩王となっていた呉三桂を中心に雲南・広東・福建の三つの藩王が手を組み、
1673年に三藩の乱を起こします。
長期間の戦いとなりますが1681年に康熙帝は乱を平定。中国全土の支配を確立しました。
また台湾に逃亡した明朝復活を望む鄭成功の一族を1683年に平定。
こうして台湾までも平定すると、中国全土をを「王朝が直接支配する領土」である直轄領と
「自治を認める辺境」である藩部に分け、支配していくことになります。
そして中国全土を支配したことで国境を定める必要があり、北方進出中ののロシアと話し合う。
当時のロシアの皇帝はピョートル大帝。この人も名君である。
ロシアとの間にネルチンスク条約を結び、アルグン川とスタノヴォイ山脈を国境と定めた。
国内政治では税制として地丁銀制を1717年に採用。
これは「地銀(地税)と丁税(人頭税)は一つにして銀ではらえ」ということで、
土地を持っている人は人頭税も払う必要があるが、土地がない人は人頭税も必要がなく、
金持ちたちに多くの税がかけられることとなり、逆に人頭税が必要ない人も出てきたため人口も急激に増えたそう。
何をしたのか(文化)

頭の良かった康熙帝は文化面にも大きく貢献しました。
まず大きな漢字辞書である康煕字典を作らせた。これはほとんどすべての漢字の意味や、例文、
成り立ちを網羅しており、1716年に完成。
約47000字が集約。部首別に分類したりなどその構成は字典の編纂に大きく影響をもたらした。
また古今図書集成の編纂も命じし、これは大百科事典となった。
約1万巻あり、約1億6千万字におよぶ膨大な情報を収録。まさに中国版ウィキペディアであり、
10の大分類に分けられた百科事典のような構成でできており、
政治、歴史、科学、文学、医療、宗教など、あらゆる分野を網羅している。
康熙帝の時代に作成が命じられたものの、存命中には完成することがなく、
続く五代目雍正帝が編纂を受け継ぎ完成させました。
康熙帝時代には多くのイエズス会宣教師たちがやってきて
特にブーヴェやレジスといった宣教師たちは正確な中国地図である、
皇輿全覧図を10年の歳月をかけて作成するとともに、もう一つ
フランス出身のブーヴェは康熙帝伝を執筆し、康熙帝の偉大さをルイ14世に伝えたりもした。
面白いエピソード
そんな康熙帝にも多くのエピソードがあります。いくつかご紹介。
康熙帝は微服巡行(変装して民間を視察すること)をよく行っていたそうです。
ある日、康熙帝は微服巡行の途中で山賊に遭遇しました。
山賊の頭目は、捕まえた康熙帝に向かって「俺が皇帝だ!」と叫び、自分を王だと名乗りました。
康熙帝は笑いながら、「じゃあ俺は誰なんだ?」と聞くと、
山賊は「お前なんかただの役人だろう!」と馬鹿にしました。
しかし、その後、清の役人が康熙帝を探して山賊の元に到着。
役人たちが「陛下!お迎えに参りました!」と言うと、山賊は「え?本物の皇帝!?」と震え上がり、ひれ伏して謝罪したとか。
康熙帝は面白がってその山賊を許し、「せっかくだから正しい道を歩め」と官僚に取り立てたという話もあります。
またある日、康熙帝が視察の途中で漁師から「大白魚」という珍しい魚をもらい、食べてみました。
康熙帝:「これは美味い!宮廷の料理に加えよ!」
こうして「大白魚」は宮廷料理として人気になりました。
しかし、康熙帝が気に入ったことが知れ渡ると、全国の役人たちが「皇帝に献上するため!」と競って魚を捕り始め、大量乱獲が発生。
結果、「大白魚」はほぼ絶滅状態に!
後になって康熙帝も「余のせいで魚が消えてしまったのか……」と反省し、保護を命じたそうです。
またまたある冬の日、北京は記録的な寒さに。朝の会議の時間になっても大臣たちが寒さで震えながら集まってきました。
康熙帝:「今日は寒いな……。」
大臣:「はい、とても……。」
康熙帝:「よし、今日は寒すぎるから仕事はなし!解散!」
大臣:「え!? そんなことが……」
康熙帝:「たまにはゆっくりするのも良かろう!」
こうして、この日は突然の皇帝のお達しで「寒さのための特別休日」となり、大臣たちは驚きつつも喜んで帰ったとか。
またまたまたある日、康熙帝は病に倒れ、高熱にうなされていました。
そのとき、夢の中で道教の神・太上老君が現れ、こう言いました。
神:「お前は良い皇帝だが、まだまだやることがあるぞ。」
康熙帝は目を覚ますと、「これは天の啓示だ!」と感じ、さらに熱心に政治を行うようになりました。
その後、病は回復し、より一層精力的に治世を行ったそうです。
本人がこの話を語ったことから、「康熙帝は神に選ばれた皇帝」という伝説が生まれました。
まとめ
いかがでしょうか。文武両道の康熙帝は多くの功績を残した偉大な皇帝でありながら、
宮中の侍女や農民にも慕われていたそうです。
侍女に驚かされその仕返しをしたりとか、猫が好きだったりとか、苦い薬が嫌いだったとか
大臣にいたずらするなどユーモアも持っていました。
凄いっすね。そんな人に私もなりたいな。。。
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