”ヨーロッパの父”カール大帝

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今回はヨーロッパの父とも言われているカール大帝について話していきたいと思います。

フランス語では「シャルルマーニュ」という名前で呼び、

現在のドイツ・フランス・イタリアの3国の祖先となるフランク王国を超大国にした皇帝。

一説には、身長は約190㎝、筋肉ムキムキで黄金のひげをもっていたそうな。

  • カール大帝は何をした?
  • どんな人物?
  • カールの戴冠とその意義
  • 多くの逸話

大きなカール大帝は戦争がとても強かったそうな。

征服活動を多く行い、まず774年にはにあるランゴバルド王国を潰しイタリア北部を獲得。

772年から804年にかけてはから南下してきたゲルマン人の異教徒であるザクセン人と戦う。

彼らに勝利し、キリスト教へ改宗させる。

791年から796年にかけてはから来たフン人の末裔であるアヴァール人を打ち破る。

イベリア半島へも遠征を行い後ウマイヤ朝に打撃を与え、東西南北に遠征。

その結果西ヨーロッパ大陸のほとんどを征服することになった。

支配した土地には「伯」という一代限りの領主を支配させ、彼らの監視へのためにも巡察使を派遣していた。

カール大帝は、巡察使の派遣に見られるように、

戦争でも行政でも「とにかく自分で確かめる」という現場主義だったことで知られています。

戦争中も兵士たちのキャンプを歩き回り、時には兵士たちと同じ食事をとったり、自ら戦術を確認したりしていました。

特に有名なのは、「自分で川の深さを確かめる」エピソード。

ある戦いの際、敵軍を追撃するために川を渡る必要があったのですが、家臣たちが「深すぎて危険です!」と反対。

するとカール大帝は馬を走らせ、自ら川に入って深さを測り、「大丈夫だ、行け!」と指示したそうです。

またそんなカール大帝にローマ=カトリック教会は惚れ込み、西ヨーロッパを支配した彼に

戴冠式を強行。324年ぶりの西ヨーロッパ皇帝の復活となった。

カール大帝は字があまりかけなかったらしく、当時の言葉はラテン語であり、

読み書きできる人は聖職者や修道士ぐらいであり、その状況を改善すべく

中心都市であるアーヘンアルクインなどの学者を招待し、教会・修道院付きの学校を多く建築し始めた。

それらをの動きをカロリング・ルネサンスといいます。

現場主義者で戦争が強いカール大帝はどんな人物だったのか。

カール大帝は、かなり規則正しい生活を送っていたことで有名です。

「夜9時には就寝し、朝は日の出とともに起きる」という健康的なライフスタイルを実践していたとか。

彼はまた、食事もあまり贅沢をせず、「豪華な料理よりもシンプルな焼き肉とパン、季節の野菜を好んだ」と言われています。

食事のマナーにも厳しく、家臣たちにも「飲みすぎ禁止」と言ってたそう。

馬やオウムなどの動物が好きだったらしく、宮廷ではオウムと会話していたそうな

ただ犬にはあまり興味がなかったらしい。

カール大帝が使っていた剣の名称は「ジョワユーズ(Joyeuse)」といい、フランス語で「喜び」を意味します。

伝説では、この剣は「世界で最も美しい剣」とされ、戦場ではまばゆい光を放って敵を怯えさせたと言われています。

現在はルーブル美術館にあるそうですが、本物かどうかは不明とのこと。

またカール大帝は妻や愛人が多くいたとされ、子供も18人以上いたとされています。

しかしカール大帝は娘を溺愛しすぎており、自分が死ぬまで結婚させなかったそう。

そのためカール大帝の娘たちは晩婚が多かったとか。

あとあんまり人前で笑わなかったらしい。

西ヨーロッパ皇帝の復活となった戴冠式だが、カール大帝は当時の教皇レオ3世に嵌められて、冠をさずかったとされています。

教皇がそんなことをしていいのか分かりませんが詳しく見ていきましょう。

レオ3世が皇帝就任を打診したときカール大帝は断りました。

当時ローマ=カトリック教会は東ローマ皇帝の保護を受けていたものの、

当時の東ローマ帝国(ビザンツ帝国)では、女性皇帝イレーネが君臨しており、

「女性が皇帝としてふさわしいのか?」という疑問があり、また聖像禁止令などを言ってくる東ローマ帝国を億劫に思っていました。

そんな中で「いっそのこと西ヨーロッパ皇帝の保護を受けちゃおう」ということで教皇らは計画を立てます。

「クリスマスにミサをローマで受けないか」とカール大帝をローマに誘い出し、

当日、やってきたカール大帝はサン=ピエトロ大聖堂の祭壇の前でひざまずきます。

そのときレオ3世が急に現れ冠を頭の上に乗っけます。

そして周囲の聖職者たちが「ローマの皇帝万歳!」と叫び、そのまま戴冠式となってしまいました。

また一説にはカール大帝はひざまずくことなく、教皇が冠を頭にのせる前に自らの手で冠を手に取り、頭にかぶったという説もあります。

いずれにせよ戴冠式のことは知らなかった可能性が高く、

戴冠式の後、彼は「もし事前に知っていたら、この儀式には出席しなかった」と周囲に漏らしたという話もあります。

その後はすぐに自分の家に帰ったそう。そして東ローマ皇帝にも説得をしっかりしたそうな。

そういったことがありつつも、戴冠式によって

ヨーロッパを初めて「キリスト教世界」として統一
フランク王国の支配をさらに強化東ローマ帝国とも交渉し、戦争を回避

そして西ヨーロッパの政治的安定と文化の確立をもたらしました。

カール大帝には多くの逸話が残されています。いくつかご紹介!

カール大帝はお風呂が大好きだったことで知られています。

当時のヨーロッパでは、お風呂に入る習慣があまり普及していませんでしたが、彼は温泉を特に好み、アーヘン(現在のドイツ)に温泉付きの宮殿を建てました。

彼はよく家族や貴族、兵士たちを大勢引き連れて入浴し、100人近くで湯に浸かることもあったとか。

中世ヨーロッパでは珍しい「清潔な皇帝」だったのかもしれません。

またカール大帝はかなりの健康オタクだったと言われています。

彼は特に歯を大切にしており、「歯が抜けると老化が進む」と考えていたらしいです。

そのため、彼は硬いパンやナッツを好んで食べ、「歯を鍛える」という独自の健康法を実践していました。

しかし、ある記録では「硬すぎるパンを食べたせいで歯を痛めた」とも…。


中世の歯科医療は発展していなかったため、カール大帝は痛みを我慢しながらも「健康な歯を維持しようと努力していた」ようです。

カール大帝はファッションにもこだわりがありました。特に気に入っていたのは「シンプルなチュニックと、しっかりしたズボン」でした。

当時のフランク王国では、ローマ風のチュニック(長い上着)にレギンスのようなズボンを履くスタイルが一般的でしたが、カール大帝は「これが最も動きやすい!」と言っていたそうです。

いかがでしょうか。偉大なカール大帝だからこそ多くのエピソードが語られています。

他にも「隠し財産が存在する」だったり、「カール大帝の宮殿は空を飛んだ」

「橋を立てるのが好きすぎる」だどユニークなものがたくさんあります。

ぜひ調べてみてください!

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