これぞチャーチル!発言集

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こんにちは。so funny 世界史です。

世界史を勉強していると、今現在起こっている世界の問題(中東情勢、インドの格差、領土問題)

などは元をたどれば「あれ?イギリスが悪くね?」と思うようなことが多々あります。

たまに畜生の部分がありつつも、ユーモアを持ち合わせているイギリス人。

今回はそんなイギリス人の中から、イギリスを第二次世界大戦の勝利へと導き、

戦後の世界に大きく影響をもたらした、ウィンストン・チャーチル首相を紹介したいと思います。

  • チャーチルとは
  • 首相へ
  • 皮肉・畜生発言

チャーチルとは

本名はウィンストン=レナード=スペンサー=チャーチルであり、

1874年に生まれ、彼の姓である「スペンサー・チャーチル」は、

マールバラ公爵家というイギリスの貴族の家系に属していたことに由来します。

幼少期の彼は勉強が苦手だったそうで、当時上流階級の子供たちが学ぶ学校で、成績が非常に悪く

特にラテン語やギリシャ語といった古典科目は大の苦手で、入学試験では何度も不合格になったそう。

進学する際にも希望していた陸軍士官学校には不合格で、浪人の末に入学。そこから勉学に励むようになります。

陸軍士官学校を卒業後、軍人としてインドやスーダンで従軍しました。

また、その間に特派員ジャーナリストとしても活動し、ボーア戦争では捕虜となりながらも脱走に成功するという、

彼の生涯の中でも特にドラマチックなエピソードを残しています。

戦時中戦い続けることが出来た彼のタフさが表れています。

その後1900年に下院議員に初当選し、政治家としての道を歩み始めました。

首相となるまでにも彼は多くの経験をしています。

当初保守党に所属していましたが、彼の考えている自由貿易主義政策などが保守党の本流と

違うため、所属政党を変えることになるという異例の経験をしていたり、

第一次世界大戦では海軍大臣として連合の作戦などを指揮しましたが、失敗し、

政権を追われ、その後軍人として戦線に出た後もう一度政治家になるという、

異色の経歴をたどっています。

そんなチャーチルは葉巻の愛好家としても知られ生涯で約20万本の葉巻を吸ったという人もいます。

またジャーナリストの経験から執筆活動も行っており、1953年にはノーベル文学賞も受賞しています。

お風呂も大好きだったそう。

首相へ

1940年5月、チャーチルはチェンバレンに代わり首相になります。

このときにもう敵国ドイツはデンマークとノルウェーを占領、

オランダ・ベルギーに侵入、フランスに侵入していました。

そしてフランスが陥落したのち、ヒトラーはイギリスを目指します。

ドイツ側には海軍力がなかったため空襲攻撃を行うことにしました。

それをしったイギリス側は最新鋭のレーダーを備え、戦闘機スピットファイアで迎え撃ちます。

この空の戦いを「バトル・オブ・ブリテン」と呼びます。

空襲の中でもチャーチルは空襲を受けた被災地に率先して訪れ、人々を励ましました。

励ましの時にしていたVサインは有名です。

1941年12月、真珠湾攻撃が起こる直前まで、イギリスはナチス・ドイツに対してほぼ単独で戦い続けている状態でした。

ソ連は参戦していましたが、ヨーロッパ戦線はまだ不安定で、イギリス本土はドイツ空軍の爆撃(バトル・オブ・ブリテン)に耐え続けており、疲弊の極みにありました。

チャーチルは長年、アメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領に参戦を促してきましたが、

アメリカ国内の「孤立主義」の伝統は根強く、参戦は実現していませんでした。

1941年12月7日(日本時間12月8日)の夜、チャーチルは首相官邸で夕食を終え、

くつろいでいるところに、ホワイトハウスから電話が入りました。

ルーズベルト大統領からの第一報は、日本の真珠湾攻撃という衝撃的なものでしたが、

チャーチルはこれを「神の恵み」のように受け止めました。

チャーチルは、この時の心境を自伝『第二次世界大戦回顧録』に記しています。

「これで、我々は戦争に勝った。…夜、安らかに眠ることができた。ついに、我々を一人にしない、巨大な同盟国が手に入ったのだから。」

これでチャーチルは戦争の勝利を確信します。

戦争に勝ったチャーチルでしたが、戦後処理の会談であるポツダム会談の際には

選挙で敗北したため参加することはありませんでした。

チャーチルの発言集

彼はかっこいいものからブリティッシュジョークまで様々な発言をしました。

そんな中でいくつかご紹介。

まずはかっこいいものから。

「私が提供できるものは、血と労苦と涙と汗以外には何もない。」

これはドイツ侵攻が始まり、絶望のなかでの下院での初演説でいったものです。

指導者として国民に安易な希望ではなく、勝利のための覚悟と犠牲を求めたという点で、彼のリーダーシップの真髄を示しています。

「我々は決して降伏しない。」(ダンケルクの戦いの後の演説より)

クリストファー・ノーラン監督の「ダンケルク」が有名ですが、これはそのダンケルクの戦いで

彼が言った言葉です。

多くの政治家がドイツとの講和を考え始めた中で、彼は議会で「海岸で戦い、水際で戦う…我々は決して降伏しない」と、徹底抗戦の意志を力強く宣言しました。

一方、面白いのをいくつかご紹介

女性議員とのやり取り

ある保守党の女性議員(ベシー・ブラドックとされることが多い)が、議会でチャーチルに向かって言いました。

女性議員:「ウィンストン、あなたはひどい酔っ払いだわ。恥を知りなさい!」

これに対し、チャーチルは相手をじっと見つめ、冷静にこう切り返しました。

チャーチル:「私こそ、あなたの言われる通り酔っている。だが、私は明日になれば、しらふに戻っているでしょう。あなたは明日になっても、相変わらず醜いままですよ。

続いて

議会での居眠りをする議員に対する皮肉

議会で討論中に居眠りをしている政治家を見つけた際、チャーチルが言ったとされる言葉です。

チャーチル:彼は(眠っている間は)何の害もなさない。起きている間は、イギリスにとって危険な存在だからね。」

他にも

ライバル政治家への評価

チャーチルの政敵で労働党のリーダーだったクレメント・アトリー(後にチャーチルを破って首相になる人物)について尋ねられた際、彼は辛辣な皮肉を述べました。

チャーチル:「アトリーは、羊の皮を被った羊だ。」

相手を「狼の皮を被った羊」のように見せかけの優しさを持つ者、ではなく、

「中身も外見も凡庸で、何の驚きもない人物だ」と一刀両断にすることで、彼の平凡さを最大限に皮肉っています。

終わりに

いかがでしょうか。

イギリス人ですね。

「ウィンストン・チャーチル:「英国を救った男」の人生と行動 」

第二次世界大戦中、絶望的な状況にあったイギリスを、ただ一人不屈の精神で鼓舞し、勝利に導いた男――それがウィンストン・チャーチル(1874-1965)です。

彼の人生は、貴族出身でありながら、幼少期からの挫折軍人・ジャーナリストとしての波乱のキャリアを経て、ついに首相の座に上り詰めるという、まさに一大叙事詩です。

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