
こんにちは。今回は20世紀のロシアの巨匠、マルク・シャガールについてご紹介します。
空を舞う恋人たち、幻想的な色彩。20世紀の巨匠マルク・シャガール(1887-1985)は、「愛と夢」を描き続けた「愛の画家」として世界中で愛されています。
しかし、このロマンチックなイメージの裏には、多くの人が知らない意外な一面がありました。
そう、シャガールは実は、同時代のライバル画家たちを容赦なく評価する「キレッキレの毒舌家」でもあったのです。
特に、同じく巨匠のパブロ・ピカソに対して放った辛辣な皮肉は、知られているところであります。
本記事では、この愛に満ちた画家の光と影、つまり、戦争で愛する人を失った波乱の人生と、その裏で炸裂した痛快な毒舌の全貌を徹底解説します。
この記事を読めば、あなたは彼の「真実の人生」を知り、彼が愛した南フランスの聖地を巡る旅に出たくなるはずです。
夢と色彩の象徴!「愛の画家」の代名詞的作品3選
まずは、シャガールの代名詞とも言える、愛と幻想に満ちた代表作を見ていきましょう。
彼の作品は、故郷のロシア、愛する妻ベラ、そして彼の心の風景が、鮮やかな色彩で織りなされています。
1. 『誕生日』(1915年):愛が二人を宙に浮かせる

シャガール作品の中でも、最もロマンチックで幸福感に満ちた作品の一つです。
1915年、シャガールの28歳の誕生日の朝が描かれています。結婚を目前に控えていた二人は、未来への希望に満ちていました。
妻のベラが花束を差し出す瞬間、シャガールは喜びのあまり、まるで重力から解放されたかのように宙に浮き上がり、首をひねってベラにキスをしています。
この非現実的な表現こそが、シャガールの芸術の核心です。
この作品は、彼がどれほどベラを深く愛していたか、そして二人の間に流れる非日常的な幸福を象徴しています。
2. 『私と村』(1911年):故郷の記憶が織りなす幻想

故郷ロシアのヴィテブスクの記憶が、牛や村人、家といったイメージと混ざり合い、
一つの幻想的な風景として描かれています。
この作品が描かれたのは、シャガールが故郷ヴィテブスクを離れ、パリの過酷な生活を送っていた時期です。
パリの抽象的な芸術に触れながらも、彼の心は常に故郷の記憶にありました。
緑色の顔をした男と牛の瞳が向かい合うシュールな構図ですが、
これはシャガールのアイデンティティである故郷やユダヤの伝統に対する愛情と、ノスタルジーを表しています。
パリで成功を収めながらも、シャガールはベラと故郷への愛を忘れられず、
この作品を描いた数年後、ベラとの結婚のために一度ロシアに戻る決断をします。
故郷と愛への強い執着が読み取れます。
彼の作品には、しばしば牛やヤギ、バイオリン弾きが登場しますが、それは故郷の記憶を呼び覚ますためのモチーフなのです。
3. 『空中散歩』(1914-18年):愛の絶頂、世界が二人だけのものに

この作品もまた、シャガールとベラがモチーフです。
二人は故郷の街の上空で手を取り合い、散歩をしています。
この作品は、シャガールがベラと正式に結婚した直後の歓喜の時期に描かれ始めました。
愛が成就したことで、二人は文字通り世界の上に君臨しているように見えます。
愛する人がいれば、地上から離れ、世界が二人だけのものになる――そんな詩的な瞬間を描いています。
当時、ロシア革命の動乱が始まっていましたが、二人はそうした社会的な混乱をよそに、
この絵の中で個人の愛と幸福という絶対的な価値を謳い上げています。
鮮やかな色彩と、重力を無視した浮遊感は、鑑賞者に純粋な喜びと自由を感じさせます。
シャガール、実は毒舌家だった?
ロマンチックな作品とは裏腹に、シャガールは同時代の画家や芸術運動に対し、シニカル(冷笑的)な態度を示す毒舌家としても知られていました。
特に、彼と並び称される20世紀のもう一人の巨匠、パブロ・ピカソに対しては、非常に辛辣な評価を下していたと言われています。
ピカソとシャガールは同じパリで活動し、20世紀美術を牽引しましたが、二人は深く交流することはありませんでした。
シャガールは、ピカソの作風に対して、しばしば周囲に皮肉めいた言葉を漏らしていたとされます。
それは、彼らの芸術観が根本的に異なっていたためです。
シャガールは絵画を「愛と夢の表現」だと信じていました。
それに対し、ピカソのキュビスム(立体派)など、知性や論理を重んじる新しい芸術については、彼は痛烈に批判しました。
シャガールがピカソの作品を前にして、以下のような皮肉を口にしていたという記録が残っています。
「あの男(ピカソ)の絵には、血も肉も心もない。あるのは、単なる『頭脳の形式的な遊び』だけだ。」
愛を追求したシャガールと、論理を追求したピカソ。
二人の距離感は、そのまま芸術に対する考え方の違いを象徴していたのです。
2. 絶望の中で生まれた「愛の色彩」:波乱の人生
キレのある毒舌を放つシャガールですが、そのロマンチックな作品とは裏腹に、その人生は波乱と悲劇に満ちていました。彼の色彩豊かな作品は、実は絶望の淵から生まれたと言っても過言ではありません。
ナチスの迫害からアメリカへ「命がけの亡命」
第二次世界大戦が勃発すると、ユダヤ人であったシャガールは、ナチス・ドイツの激しい迫害対象となりました。彼が描いた作品は「退廃芸術」として扱われ、命の危険にさらされます。
1941年、彼はナチスの手が迫るフランスから、奇跡的にアメリカ合衆国への亡命を果たします。
故郷を、そして愛するパリを追われ、異国での生活を余儀なくされたシャガール。この亡命時代、彼の作品にはそれまでになかった暗い色調や戦争のモチーフが色濃く反映されることになります。
「目の前が真っ暗になった」最愛の妻ベラの急死
パリ解放が間近に迫り、ようやくヨーロッパに戻れると喜んでいた矢先、悲劇は突然訪れます。
1944年、亡命先のニューヨーク州で、最愛の妻ベラがウイルス感染により急逝してしまいます。戦時中の薬不足も重なり、ベラは48歳という若さで帰らぬ人となりました。
シャガールはこの時の心情を**「ぼくは目の前が真っ暗になった」**と語り、深い悲しみから、しばらく筆を取ることができませんでした。作品を通して愛と喜びを謳歌していたシャガールにとって、この喪失は想像を絶するものだったでしょう。
悲劇からの「再生」:南仏で見つけた二度目の愛と安息
しかし、シャガールは深い悲しみを抱えながらも、再び絵筆を手に取ります。
新しいパートナーとの出会いを経て、彼はフランスの南仏コート・ダジュールに恒久的な住まいを構えます。
地中海の明るい光と、豊かな自然に囲まれたこの地で、彼は「聖書のメッセージ」の連作などの大作を多く手掛けました。
この南仏の地は、彼にとって亡きベラの面影と、芸術家としての平和の両方を与えてくれる安息の地となったのです。
彼の色彩が晩年にかけてさらに輝きを増したと言われるのは、
この南仏の明るい光と、再び心に宿した愛と平和への讃歌があったからに他なりません。
3. 【聖地巡礼】シャガールの愛と色彩に包まれる南仏の旅へ
絶望的な悲劇を経て、シャガールが最後にたどり着き、再び光を見出したのが、フランスの南仏コート・ダジュールです。
地中海の太陽が降り注ぐこの場所は、彼の色彩をさらに鮮やかにし、彼の人生の集大成を生み出しました。
シャガールの愛と芸術の軌跡を辿る旅は、あなたの人生に美しい色彩を与えてくれるでしょう。
1. 聖地:ニース「マルク・シャガール美術館」
南仏旅行でまず訪れるべきは、ニースにある国立マルク・シャガール美術館です。
彼の人生で最も重要な連作の一つである「聖書のメッセージ」を展示するために設立されたこの美術館は、シャガール自身が設立に関わり、作品の配置まで指定した特別な場所です。
彼の色彩が最も輝き、愛と平和のメッセージに満ちた空間で、彼の魂の再生を感じることができます。
2. シャガールが愛した村:サン=ポール=ド=ヴァンス
ニースから車で少し足を延ばした場所にあるのが、シャガールが晩年を過ごしたサン=ポール=ド=ヴァンスという美しい鷲の巣村(丘の上の村)です。
彼がこの村の墓地に眠っていることからもわかるように、この場所は彼にとって本当に安息の地でした。
小さな村全体が芸術家を愛し、迎える雰囲気に包まれており、散策するだけでも心が満たされる場所です。
まとめ
彼の人生は、迫害や最愛の妻との死別という絶望に満ちていました。しかし、そのすべてを作品のエネルギーに変え、最期は地中海の明るい光の中で「愛と平和」のメッセージを届け続けたのが、マルク・シャガールという画家です。
愛と夢を描いた画家が、なぜ厳しい言葉を口にしたのか。それは、彼にとって**「愛と魂」のない芸術は許せなかった**からかもしれません。
ぜひ、彼が愛した南仏を訪れ、その色彩と、彼の魂のメッセージを肌で感じてみてください!
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『シャガールの絵本 空にふわり (小学館あーとぶっく)』
空飛ぶ恋人たちの美しい世界を、詩的な言葉で綴った画集絵本です。難しい美術解説は一切なく、シャガールとベラの物語が、まるで夢のように、ふわりと心に語りかけてきます。
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